感受性
たったお1人でも
貴方の感性を
喜びとして受け取ってくださる方がいたならば
きっと
貴方は救われる思いがするでしょう。
たったお1人でも
貴方の感動した話しを
まるで御自身が体験したように
目を輝かせて聞いてくださる方がいたら
きっと貴方は
貴方がここにいてよいのだという
安心感に包まれることでしょう。
感動するというのは
理屈ではなく
どうしようもなく湧き上がるものだからこそ
どうしようもなく
愛おしいのだから。
本当は
誰に認められなくても
感動したその感覚というものは
細やかに振動し続け
貴方の世界を豊かにしていっていますが
分かち合えるという喜びが
その振動を
より強いものにしてくれるのでしょう。
もしも
たとえ
周りの誰もが
貴方のその感受性を
否定したとしても
本当には
どなたにも
その柔らかな感受性を
傷つけることはできません。
そこに正解というものはないからです。
それは
本来、認めたり、条件付きでジャッジすることはできないからです。
唯一
傷つけるのは
御自身がその言葉を御自身にむけるのを
ゆるしてしまったときだけです。
随分昔に
大事な存在の方に言われたひと言も
繰り返し
繰り返し
思い出しては孤独と悲しみを味わおうとしているのは
貴方御自身です。
もう、そろそろ
そうして
思い出すこと、
傷つけるのを御自身にゆるすことを
やめてもよいのではないですか。
それよりも
いつでも
どなたかの感動したことを
まるでそこにいて一緒に体験したかのように
目を輝かせて感動できる
その貴方の感受性の豊かさを
喜びを拡げることに
使える時が
来ています。
その喜びの波紋は
きっと回り回って
貴方へと
戻ってくる時があるでしょう。
感受性が強いのは
弱いのではありません。
この世の美しく愛おしいところを
見つけ出す力が
大きいということです。
ですからどうぞ
その豊かさを受け取る大きな器を
その為の循環を生み出す大きな通り道として
使ってください。
大切な貴方へ
いつでも見守っています。
愛と祈りを込めて。。。
ありがとうございます🍃✨